2015年7月5日日曜日

不逞鮮人の不逞鮮人たる所以

 6月21日、来なくてもいいのに、わざわざ南鮮のユン・ビョンセがやって来て岸田文雄外相と会談し、日本の『明治日本の産業革命遺産』と南鮮の『百済歴史地区』に付き、「ともに協力し、両案件が登録できるよう協力することで一致した」のであった。

 これを聴いた私は奴等のような「人間もどき」と妥協する日本政府の弱腰に逆上しそうになったのだが、いやいや、これは南鮮の裏切りを先読みした日本政府が日本国民に対し南鮮への憎悪を煽るためにした高等戦術かも知れない、と思いたかった。しかし、残念ながら、宮沢喜一の成れの果てである岸田外相に限って、決してそのようなことを思いつくはずはないのである。

 そして、7月4日、やはり奴等は土壇場で約束を反故にした。
産経新聞は、16:25、明治産業革命遺産、審査は5日に持ち越しへ という記事を、19:25には 南鮮申請の『百済歴史地区』が世界文化遺産に という記事を配信した。また、読売新聞によれば、『百済歴史地区』は当初、日本が推薦した『明治日本の産業革命遺産』の後に審議される予定だったが、『明治日本の産業革命遺産』の審議日程が先延ばしにされたため、先に登録が決まった、と云うのだ。つまり、日本政府の交渉担当者は『明治日本の産業革命遺産』に対し南鮮からイチャモンを付けられているにも拘わらず、『百済歴史地区』の世界遺産登録を何ら抵抗すること無く支持したということなのだ。こいつらは日本の国益をどう考えているのだろうか。全く意識していないのだろう。

 私のかなり偏った情報収集環境において、数人の論客が云っている事だが、このまま南鮮のイチャモンのせいで『明治日本の産業革命遺産』が世界遺産登録されなければ、日本人が支那や半島からの観光客に邪魔されることなく観光を楽しめていた数十年前の環境に戻すためのきっかけになるかも知れないのだ。本日、世界遺産登録されないことを願わずにはいられない。

 反日左翼とがっちりスクラムを組む長崎市長田上富久が物見遊山で現地を訪れ、いつもながらヘラヘラ顔でコメントしていたのがかなり目障りだった。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキング