衆議院議員選挙が終わり、まず思ったことは、「許せない」だった。
第一に、小渕優子が早々と当選を決めたことだ。彼女は立候補するべきではなかったし、そもそも政治家には向いていないのだから、TBS社員でもやっていればよかったのだ。今後、日本国に対し他者をもって替え難い貢献をするとはとても考えられない。日韓議連の売国婆6人衆として幅を利かせるだけだ。“田中角栄的なもの” 即ち 『支那の傀儡』 は日本から一掃するべきである。その意味で、彼女本人を許せないのだが、それと同様に、傷ものとなった彼女をいけしゃあしゃあと当選させてしまう群馬県民もまた許すことができない。小渕優子と群馬県民に対し、ここに書くことを憚られる程の最大限のありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかけたくなるのである。
「世の中、こんなものだ。ナイーブな奴め。」と考える人もいるだろうが、「許せない」と感じ、怒ることは意義のあることだと思う。「許される者」と「許されざる者」をはっきりと峻別することは良質で普遍的な道義心を醸成することに資するからである。
軽はずみな小渕優子は自らの無知無能によって薄汚いスキャンダルを招いたが、これとは全く正反対の地位を確立しているのが我等が林芳正議員である。高い見識と思慮深さにより、スキャンダルとは一応無縁の存在である。この点においては、小渕優子と群馬県民は林芳正議員と山口県民を見習うべきである。
第二に、4選挙区とも自民党候補者を落選させた沖縄県民。
こいつらは日本国の敵である、と改めて認識させられた。こいつらを説得する必要はもうない。被害者ヅラしてゴネまくる基地外どもをもはや許すことはできない。遠慮することはないのだ。こちらの都合のいいように利用することを考えるべきだ。
昭和47年の祖国復帰以後、本土から声のでかい左翼活動家が沖縄入りし、元々の沖縄の真っ当な人々の声をかき消しているとも云われているが、「警察すらまともに機能しなくなるまで何をしていたのか。お前らはどこまでお人好しなんだ。今となっては、レジスタンスでも結成して自助努力しやがれ。」と言いたくなってしまう。
その他については次の機会に。
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